「ほっ」と。キャンペーン

『選挙』

『選挙』という映画を観ました。
平たく言うと、選挙のドキュメンタリー映画です。
もう少し言ってみると、政治の素人がなりゆきで立候補し、「どぶ板選挙」をする映画です。
英題も付いておりまして、「イレクション」ではなく「キャンペイン」なのです。
投票日までの選挙活動をひたすら追い続けています。

どぶ板選挙とは、有権者の家にこまめに赴いたり、
選挙カーで町中をまわってアピールするような、いわゆる支持団体の力に
頼らない選挙のことを言うそうです。
主演の「山さん」も、駅前で自分の名前を連呼したり通勤客に握手してまわったり、
時には小学生たちにもチラシをあげて「おかあさんによろしくね」なんて言ったりと
いろいろやっています。

出馬を要請した自民党関係者からは、
「何をやっても怒られ、何をやらなくても怒られ」ながら、時には奥さんにもブチ切れられたり、
山さんは困惑しながらも活動を続けていきます。

選挙の結果は、映画の目玉のひとつでもありますので書きませんが、
この映画の面白い点のひとつに、観覧者に何らのメッセージも強いない事があります。
いや、もちろん伝えたいことがあって映画を作ったのでしょうが、
それを押し付けてこないという意味です。
日本の特有な選挙活動を笑い飛ばすもよし、
山さんの打たれ強さに敬服するもよし、
来る7月の選挙を思い出すもよし、
途中で寝てしまってもよし・・・。

ニュース番組などで、テレビは人々にステレオタイプな枠を作りすぎたと思います。
ものごとを一義的な、あるいは象徴的な強いメッセージを与えて片付けることで
「わかりやすさ」は追求されましたが、
ものごとはそんなに判りやすくないという事まで、忘れさせてしまっています。
また、我々も判らないことに対して「わかりやすさ」を強く求めてしまっている。


『選挙』という映画は、そのような「わかりやすさ」ばかり追求する傾向とは
逆行する映画だと思います。我々が作り上げてしまったイメージの枠を壊してくれる。
また、イメージの枠にものごとを納めるのは不可能なのだったと思い出させてくれる。
この映画の監督がそのような意思で撮ったかよく知りませんが、
こういう短絡的でない映画は優れているんじゃないかなあ、と思っています。


想田和弘監督 『選挙』 
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# by fukidamarism | 2007-06-11 12:52

『膠着』

『膠着』という題名の本を読みました。
平たく言うと、会社で新商品を開発する小説です。
もう少し掘り下げて言うと、ある接着剤メーカーの会社で出来上がってしまった
「くっつかない接着剤」をいかにして新商品として仕上げ、売り出すのかというストーリーです。

メーカー営業の新入社員である主人公が先輩らと共に、
いいアイディアを搾り出すべく奮闘する様が中心に書かれているのですが、
「くっつかない接着剤」という設定が
あまりに斬新で面白かったせいなのか何なのか、
小説の最後で弾き出される新商品のアイディアが、うまく輝いていない感じがしました。
それに至るプロセスはとても楽しめたのですが。

あと表紙の絵がかなり印象的です。
誰が描いているのか名前はわかりませんが(確か女性)、テレビなどで出てきたりしてるので
その絵を知っている方もいると思います。
そんなわけで、買った動機は表紙が7割5分くらいなのです。

非常に報われないレビューなのが残念です。レビューというよりは侮辱か。


今野敏 『膠着』 (中央公論新社)
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# by fukidamarism | 2007-06-05 17:35

ブログの雰囲気が変わりました。
ノート風いいじゃない!
心機一転してちゃんと更新しようという意気を表してみました。

しかし自分、日課というものを持つのが本当に苦手なようです。特に日記の類において。
三日坊主が得意ともいいます。
むつかしいね、むつかしいね。
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# by fukidamarism | 2007-06-04 10:52

続アンゴたん

というわけで続きです。
昨日の最後に書いたのは『白痴』において自分に一番印象を与えた部分であります。
白痴の女性が主人公の家に駆け込んできたことを考えながら発する言葉。
世間という危うい存在に気づいていながら、それに惑わされる主人公の自意識が面白い。

ちなみに引用先である小説は伊坂幸太郎『ラッシュライフ』。
いたって最近の小説ですが、作品自体がだまし絵のような大群像劇。
登場する複数の主人公たちは皆頭がよい。

結局何が言いたいのかというとはっきりしませんがおおむねまとめますと、
他者を異質なものとして疎外するまっとうな理由など存在しないのではないかということです。
そういう意味で、アンゴたんの小説の中に自分の考えている事の一部を見つけたのです。
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# by fukidamarism | 2007-03-01 16:52

アンゴたん

こんにちは。しばらくぶりに書きます。滞らせてすみませんでした。
実際にお会いしている以外でご覧になっている方がいるかはわかりませんが、
元気に生きています。おそらくいないのでしょう。
それほどかかっていないであろう期待さえも裏切ってしまい、
期待を裏切るのが得意のようです。これからは毎日書きます。嘘ですが頑張ります。
頑張りますなんて非常に嘘くさい言葉のように思う。頑張りましたならわかるけれど。

坂口安吾『白痴』を読んだ。
とある小説に引用されていたのを思い出して、ムシャクシャついでに買った。
気が塞いだ時は本を買うに限る。

引用元の小説を引用先の小説の次に読むということをたまにするが、
いかにももっともらしく書かれていた引用先に比べ、
たいてい引用元ではずいぶんそっけなく書かれていることが多いと感じる。
そこからわかるのは読み手によって解釈も千万存在するだけでなく、
ひとりの引用者が今日読むのと3年後、5年後に読むのではまた印象に残る部分も
異なるということで、人間同士の差異に価値を感じる。

何が誰にどういう時においてどのような影響を与えるかということは、
影響を受ける側にももたらす側にもわからない。
何がよいものでわるいもので、また意味があってないのかということもわからない。
そうであるから小説家は書き続けるし、読書人は読み続けるのだろうか。

「怖れているのはただ世間の見栄だけだ。その世間とはアパートの淫売婦だの妾だの妊娠した挺身隊だの家鴨のような鼻にかかった声をだして喚いているオカミサン達の行列会議だけのことだ。そのほかに世間などはどこにもありはしないのに、そのくせこの分りきった事実を俺は全然信じていない。不思議な掟に怯えているのだ。」

ちょっと取り留めがないけれど遅刻が怖いのでこの辺で。
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# by fukidamarism | 2007-02-28 16:54

手紙

すこし前の話になるが、1月中旬に自分宛に手紙が届いた。
差出人は中学校の担任の先生なのだが、封筒に花吹雪が舞っていてやけに豪華。

先生のメッセージと一緒に「20歳の自分への手紙」が入っていた。
中学校3年の時、未来の自分に宛てて書いた手紙だった。
クラスで卒業する前に一人ずつ書いた、らしい。
何となく書いたような気もする。でもほとんど記憶にない。
それが今年の成人式の日、約5年を経て当時担任の先生から送られてきた。

内容はというと、何とも他愛がない。
「やる気マンマン」などという、現代にあっては死語同然の言葉も見受けられた。
「大きなカベにぶつかっているかも」とか「世間の厳しさを感じる頃かも」とか
5年前の自分はなかなかに心配性だったらしい。ある意味言い得ていて驚く。
「酒飲みだったりするのか?タバコはぜったいすわないで!!!」
読んでいただいている中にはご存知の方も多いかもしれないが、酒飲みに成長した。すまない。

結果としては、そんな稚拙な手紙にえらく励まされてしまった。
自分から来た手紙だけれど、だからこそと言うべきなのか、懐かしくて嬉しい。
返事はもちろん自分宛てになるわけだが、つまり自己反省せよという事だろうか。
このプロジェクト、かなり有意義。
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# by fukidamarism | 2007-01-30 23:37

いつもタイトルを書き忘れるよ助けてベン

年が明けました。どうぞよろしくおねがいします。
あまり年始の節目感がありません。多分大掃除を真面目にしなかったためだと思います。

これまで書くことが思いついたら書くことにしていたのですが、
妙に間があいてしまったので生存主張のためというか、
「6秒黙ったら放送事故」というような考えに依って何か書いてみようというのです。

そういえば昨日アルバイト中にひとつの本のことを思い出しました。
小学生の頃に読んだ本です。題名は『スペースマイマイあらわる!』。
完璧にタイトル借りした本だったのですが、非常に夢中になって読んだ記憶があります。

あらすじは、スペースマイマイというカタツムリがある日主人公の所へやってきて、
不思議な傘を渡すのです。その傘に誰か友達と一緒に入って、
「いままで生きてきた中でいちばん恥ずかしかったこと」を聞いていかなくてはならない
というものでした。確か。

傘の下に入れた友達が話を始めると、
その記憶が映像になって、スクリーンのようになった傘の裏側に映り、
主人公はそれを見上げながら何とやらといった具合です。
で、確か傘の骨の数である8人に同じことを聞くのです。

思い出せないのが、何でカタツムリが来たのかということと、
最後8人分の話を聞き終えたらどうなったのかということです。
割と核心部分であるような気もしますが、
確かこの本に夢中になったのは少し怖い内容が入っていたから
だったと記憶しており、いつの間にかラストの事などは排除されたようです。

そういうわけで読みたくなりました。
近くの図書館でなら読めるようです。

「人間であることがすでに病気だ」と言ったのは誰だったかも思い出せないのです。
全く別の話なのですが、思い出せないついでに付け加えます。
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# by fukidamarism | 2007-01-09 19:36

ベン、現れず

今年4月にとある学部がキャンパスを移動してきたことなぞがあって、
大学構内では結構な頻度で外国語が飛び交ってたりする。
ちょっと前まで日本語で話していた女の子が急に英語に切り替わったり、
何語かと思ったら非常に訛りの効いた日本語だったり。
移ってきたのは大方の授業が英語で行われる学部。必修外国語には「日本語」が入っている。

今日、学部の授業を受けに教室に入ったら、
聞き慣れない言葉が耳に入ったので注意してみると2ちゃんねる語だった。
新しい言語登場。「今日さむくなーい?サムスサムス」ってあなた。「あの子カワユス」ってあなた達!
見るとかわいい感じの女の子が言っていたので、いよいよ面白いと思った。

そういえばこの前、新聞テレビ欄のコラムで大学教授か誰かが「ワロス」について
熱く書いていた。「わらう」→「わろう」→「わろうっす」→「わろす」なんだって。そうなんですか。

活字としての言語が人間に浸透して、普通の生活に現れてくるまでになる事って
その言語に結構な威力がないとうまくいかないのではないかと思う。
とにかく我が学部に根付きつつある新言語の行く末を見守るのです。
自分は加わらずに鳥の目で。
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# by fukidamarism | 2006-12-05 19:59

楽しい元旦

2007年1月1日、9:00-17:00アルバイト。来年はいい年になりそうだなあああ!!!
去年の9月半ばころからコンビニでアルバイトしている。
勤務時間は朝6時から3時間。駅前で通勤・通学者の朝を
応援するみたいなコンセプトなのかしら。

ヘンピな場所にある地元の駅前だが(そのためか)、朝のコンビニは物凄く混む。
だから色んなお客さんが来て色んなものを買って、またそれぞれの途につく。
何ご飯用に買っているのか聞きたくなるくらいの食べ物を買っていく人、
毎日カミソリ3本とアリナミンを買って、その場で飲み干していくおばあちゃん、
月曜日に欠かさずジャンプを買いに来る人、
朝からタバコを気前よくカートン買いするおじさん、
自分の吸っているタバコの名前をよく知らない人、
レシートを蛇か何かのように拒否する人、

人間大博覧会毎日開催中。
「こんな人もいるのね」とかぼんやり考えながらやっているのです。蔑む意はないです。

1年も経つと、仕事の勝手がだいぶわかってくるので余裕が出る。
気づいたら学校のレポートのことを考えながらレジ打ちしてたりしますが、
お客さんの挙動にも気がいったりするわけで、これが何だか面白い。
店員であるこちら側にあまり意識が来ないのがわかる。
急いでいるのもあるだろうし、機械みたいな存在なんだろうなとも思う。
だから機械じゃ出来ない接客をやってやろうと意気込んでみたりするわけですが。

ちなみに、仕事中は店員同士それほどしゃべらない。
というか混雑時はしゃべる暇がないのです。
たまに話しても「肉まんなくなりました!!」だけだったりします。
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# by fukidamarism | 2006-12-01 10:45

黒電話

前回書いた通り、安全啓発センターを見学してまいりました。
モノレールの整備場駅から徒歩5分。無事迷わずに着きました。

今年の4月末に出来たばかりなので、古いビルの中で異質なくらい新しい。
予約した時間が近づくと、ぞろぞろ人が入ってきましたが、全員日航社員だそうです。
社内教育のひとつとして、社員全員が見学をする予定になっているそうな。
20人くらいのスーツ集団に混じって見学開始。結構なアウェイ感。

案内役の社員一人が順番に説明しながら見学します。
要所要所で作成された映像資料を見て、その展示物が生まれるに至った経緯を理解。
事故概要・飛行航路・事故原因・安全対策・・・といった具合に進みました。

展示物は、圧力隔壁・垂直尾翼など回収された機体のほとんどと、
乗客用座席などがありました。パンフレットの写しがあったので断りなく載せます。

そこへ行けば事故の大方のことは知ることが出来る場所ができた、
ということは大いに意味があると思いました。
ちぎれた油圧パイプや、ぐちゃぐちゃになった機体は写真では表現し得ない。
破れた圧力隔壁を「紙くずのようだ」と書かれたものを何かで読んだのですが、
その通りだと納得させられる。

また、センターにはあまり「人間の声」は入っていない、という印象も受けました。
もちろん墜落前の機内で書かれた遺書なんかも
小スペースながら展示されているわけですが、
他にも事故に関わった沢山の人々があったのです。
まず遺族がそうだし、補償金交渉にあたった遺族係の社員、
墜落地近くの上野村消防団、検死を担当した医師ら。
その辺りも展示して初めて事故全体を知ったと言えるのではと思った。
社内教育に使っているのなら是非そうするべき。
要は、かなり淡々と進んでいくように感じたわけです。

しかしながら、声としてではないにしろ多くの事を語った展示は、事故機の座席でした。
骨組みなんかがガタガタに曲がった椅子がガラスに入って3組くらい置いてあるのですが、
ほとんどのシートベルトがロックされたままでした。
相当の衝撃を受けるも、シートベルトはちぎれなかったのです。
死者520名に対して、見つかった遺体は2060体と聞いています。
遺体損傷の激しさをこれらの座席はよく表していると思いました。

         ◇

ちゃんとレポートできたか非常に不安ですが、こんな感じです。
今日文章にしてみて、また色々考えられそうです。
何を考えているのかというと、10月4日に書いたような事へつながります。
あと、夏に行った「慰霊の園」(事故の慰霊碑なんかがあります)に
手紙を書こうかと思いました。行った時、鬼のようにお世話になったのであります。
考えたことも含めて、とりあえず送ってみるわよ。
向こうは忘れてるかもしれないですが気にせず送ります。
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# by fukidamarism | 2006-11-10 18:07