納涼理想論祭り

ブログは日付を偽れないためある種の諦めがつきます。
無理に毎日書こうとせずに適当なペースで書いていこうと思います。
ネットしない日もあることだし。気づくとテレビを見ずに終わる日もある。

やっと学校が始まりました。遅すぎるくらいでしたが。
後期の授業は前期より充実している、と感じた。
というのも多分、前期よりも学問的な興味が多方面に及ぶようになったのだろう。
学問なんて大それたものでもないが、夏休み中は感化される本や人に多く出会えた。
考えることも格段に増えた。ひょっとしたら卒論のテーマの足がかりになりそうなものもできた。

自分自身が確実に安定し、成長していくのを痛感する毎日である。
と同時に、あまりに多くのものを自分自身で壊し、そこから長い間逃げてきたのだと実感する。
得た物と失った物(現在は失われている物)は異質なものだが、
あえて同じ土俵で差し引きしても、あまりある損失といえる。

損失は損失のまま、残り続けるだろう。
たとえ修復ができたとしても、それは依然とは違うものだと思う。
しかし、損失を経た安定は、順風だけでやってきたそれよりもはるかに強い。
嵐を経験した船は、沈みにくいのである。そのとき損失は初めて意味を帯びるのである。
この考えはある意味で、私自身がそうあってほしいと思うところでもある。

人生に意味のないものなどない、とよく聞く。
基本的には賛成できる。実際、ふとした瞬間に
無関係と思われた複数の事柄が繋がるという経験は多々あり、
そのたびに広い分野にアンテナを張る重要性を感じるのである。

しかし、この1年半近くにも及ぶ大きな喪失に果たして意味はあったのだろうか。
そこで私は先のように考えるようになった。
過去の誤りに意味を与えるのは、未来でしかない。
「あの時、あんなに人生が落ち込んだのも意味があったのかもしれないな」
と後から思えるような生活を送ろう。
そう思うと、後悔している余地などない。
というよりも、後悔するからこそ、過去に悲嘆することはできるだけしたくない。


アホみたいに抽象的なので中断。救いようがないな。
とりあえずナレーターは田口トモロヲあたりで。
[PR]
by fukidamarism | 2006-10-02 20:04


<< カナヤマベン そんなわけで >>